前回のコラムでは、雨後の筍のごとく立ち上がっていったEAプロジェクトのうち、現在も元気に継続されているのが果たしてどれだけ残存しているか、という問題提起をしました。 今号から3回にわたって、筆者が目撃したEAを取り巻く人々が遭遇した悲劇を紹介しつつ、EAが継続されない背景について迫ってみたいと思います。 (前回の告知とタイトルが変わりましたが、小さいことは気にせず果敢に攻めます。) この話を始めるにあたって、まず筆者の来歴を簡単に紹介させていただきます。 筆者は2002年から2007年まで、都内のベイエリアに拠点を構えるSIベンダーに所属していました。ベイエリアと言うとかなりオシャレですが、実は都心からのアクセス環境が劣悪な単なる埋立地です(最近はショッピングセンター等もでき、one more happiness な街に変貌を遂げていますが)。そこで霞ヶ関の中央省庁を担当していたのですが、この時期がまさにEAの普及展開のタイミングにドンピシャで重なったのです。幸か不幸か筆者はこの時期にEAと出会ってしまいました。場所はもちろん霞ヶ関です。 一時は歯止めが効かないくらいEAに惚れ込んで、一生を添い遂げる覚悟でEAにのめり込みました。寝ても覚めてもEA、作る提案書もEAについて、論文のテーマもEAで、当時は「君のこと一番わかっているのは僕なんだ、だから僕が君のことを余すことなく描き切ってあげる(ハート)」と勘違いしたストーカーばりに、ラブレターのように提案書や論文を書いていたものです。 ところがです。筆者の胸の高鳴りとは裏腹に、そのうちにEAについて良からぬ評判を耳にするようになります。 「EAのせいで大変な目に遭った」 「EAなんて全然効果ないじゃん」 「EAなんてもう懲り懲りだ」 「我々もやりたくてEAをやってんじゃないんだよ!」 (最後のコメントなんて筆者にしてみればとんだセクハラものです) 周りから聞こえてくる声は徐々に罵詈雑言に変わっていきます。その声は数々のEAプロジェクトが立ち上がり、佳境を迎えるころにはより増えて、より大きく強くなっていったのです。 (次号 EAが巻き起こした悲劇 ② に続きます) ※前回までのリンク EAコラム(1) みなさん元気にEAやってますか? http://www.ariscommunity.com/users/hide-char/2010-08-25-ea-1-ea